パソコンは再起動したらなおりました。昨日の続きです。
明治時代、淀川流域では大きな被害をもたらす洪水が頻繁に起こり、淀川改良工事が始まりました。改良前の淀川は、川幅が狭く蛇行しており大阪の街の中心部を流れていたため街の中心部から離れた北側に新しく川幅を広げて造られました。
昭和58年、旧淀川分流点直上流部に大阪府と兵庫県への上水道と工業用水道供給の為に「大阪大堰」が造られました。
この標識の手前を左へ曲がって淀川から大川(旧淀川)へ入っていくと毛馬閘門があります。
大川に流れ込む水量を調節するとともに船舶の通過をスムーズにさせる役割があります。
通過した後ろの扉が閉まってきます。
扉がかなり閉まってきました。
完全に閉まると少しずつ水位が下がり始めます。
15分くらいかけてゆっくり下げていきます。
前の扉が上がり始めました。
説明によるとこの前の扉の横側のところから少しずつ水を放出して水位を下げているのだそうです。
扉がかなり開いて桜がきれいに見えてきました。
完全に上がるとフックがかかるようになっているそうです。
通過しました。
しばらく進むと
上流から大量の土砂が運ばれてくるので洪水防止のため絶えず浚渫する必要があるそうです。
川砂の採取船は朝、大川から水門を抜けて川砂の採取場所である枚方市の淀川流域を目指して出航します。採取が終わったら、大川へ戻ってここへ砂を下ろします。この採取した川砂はコンクリート用などの建築資材として欠かせないものだそうです。
大阪に住んで、淀川の水をいただいて生活しているのに、全く淀川のことを知りませんでした。
淀川沿いにずっと歩いてみたくなりました。
ほんの少しですが、勉強になりました。
次回八軒家浜に到着です。